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一日、誰のためかわからない仕事をして終業後もインターネットをしていた。

転職で広報など調べていた。いろいろな関わり合いがあり、コミュニケーションがありそうというイメージ先行で気になって調べていた。とはいっても腰は重いわけで断念する。

 

そもそもなぜ人と関わりたいのか。総合的に見れば対人のほうがストレスがかかるのは明白なのに。

俺は誰かに頼られたい、もしくは誰かを喜ばせたいのだと思う。コーチしてたときや高校生に教えていたとき、同期との研修や誰かに相談されたときに応えたくなる。ほぼ放っておけない。ただ、今まで関わってきた人が出来すぎていたからストレスがかからなかったのかもしれない。

 

日常にそういったシチュエ―ションが欠如している。だから直接的なコミュニケーションの生まれる職や恋人をほしがるのだと思う。大抵、こういうのは望みが叶うと忘れてしまうから気をつけなくちゃいけない。

それに今の環境を変えられないなら、考え方を変えて、俺の仕事が無いとチームが困るであろうところを見つけて頼られていると錯覚するとか、自分で自分を褒めたり喜ばせたりすることも大切。筋トレってこの効果が見込めるのかも。

 

付随して考えたのが、誰から頼られたいか、誰を喜ばせたいかだ。

これまた自分の経験に基づくと、素直さやそれを喜びや感謝を表現してくれる相手だ。

だから自分もそういう人でありたい。

 

これに気づくと、そんじゃいつもは作り笑いなのか...と思うがやはり違う気がする。反射的に声や表情が作られているような気がする。でも初対面はそうでも、二度目以降はそうでなくなるあたり、やはり作り笑いなのか。

ま、大切なのは相手がこいつに頼られたい、喜んでもらいたいと思えるかだからね。winwinだ。

 

他人と比較はできないが、俺って結構サービス精神が素であるのではないかと思った。

仕事について

久しぶりに技術調査ではない仕事をした。

所謂、調整仕事である。ほんとに些細な、新規参画者の申請内容をリーダに確認をとって申請するだけの仕事だが、タイミングの悪さやリーダの申請業務知識の薄さにイラついてしまった。挙句、少し雑に強く返信した。。

 

イラついてたからなのか、終業後に久々にサイクリングに出た。いつもの20km弱のコース。緊急事態宣言が終わり、飲食店が20時過ぎでも明るく、人も多かった。

晴海大橋あたりで、後ろに年中くらいの娘を乗せた母親がいた。剣型のビニール風船を振り回していた娘を叱っていた。「降りて」のような言葉を発していて、そんな心無いこと言わんでもと思ったが、信号で止まるたびに後ろを向いて、何が起こるか、どうして危険なのかを口調は強いがきちんと説明していた。自分では納得いく教育だった(何様だし笑)。

 

京橋あたりで高校生?くらいの4人組が騒いでいた。オフィス街の大人たちのなかだと一層目立つ。自分のなかの高校生イメージにたがわず、いきっていた。なぜそんなに威張り散らかすのか。わからない。そしてこんなことを気にしてる自分も小さい。

 

家に着くと仰天ニュースがやっていた。

秋葉原無差別殺傷事件厚労省局長冤罪事件の特集だった。

前者は孤独のつらさを感じた。共感できた。いま孤独を感じるのは仕方がない。運が悪いのかもしれないけれど、嘆いても仕方ない。これから自分で手繰り寄せる努力をするしかない。まだ人生は長いんだから。

 

そして、後者がブログを書こうと思ったきっかけである。

一つはなぜ冤罪で拘留されている中、心を強く保てたのか。はかせるようなことをされたのかわからないが、屈せずに保釈まで頑張れたのか。

家族がいたから頑張れたのか、自分の正義感が許さなかったのか。真面目な人ほど考えすぎてメンタルが参ってしまいそうなもので、不思議だった。

 

もう一つは、この冤罪被害を受けた人をWikipediaで調べると、「仕事に臨むまじめな姿勢や、低姿勢で物腰柔らかく、誰も怒らせることなく物事を調整することができる、敵を作らない典型的な調整型官僚として有能であることが評価されていた。」とあった。

まさに今日の調整仕事に対する自分の姿勢とは真逆であり、それが有能とまで言われている。たしかにあれをスムーズに文句言わずにこなせる気概、器の大きさは偉いの一言につきる。

ただ、後輩の面倒を見るのは全く苦ではないないのに、(言い方は悪いが)リーダの面倒を見ると突然、本当に嫌になる。これは勝手にリーダに期待しているから?リーダに対しても何も知らない後輩だという気持ちで接すれば、こんな調整も苦ではなく自分の好きなお世話仕事になるのかもしれない。

でも調整仕事は汎用スキルとして市場で評価されるのだろうか。まだわからない。

 

今日は事務作業(調整作業)に対する考え方が変わっただけでも良い一日だったわ。(笑)

自分の中身

暇なときに何をしているのか、何を考えているのか

 

きっかけは今日会った人、3つ下の女性。

あるゲームを1年で600時間プレイしたらしい。平均一日2時間弱。多いねと話したが、じゃあ俺は一日2時間弱熱中していることてあるのか、ときかれて考えてみる。

無い。

 

一言でいえば暇なときに何をしているのか。

無いなあ。外歩いたり散策するのは気持ちよくてリフレッシュになるのだけども、それを1日2時間弱もしていないし、本やテレビドラマを見るのもそんなに多くない。

勉強するときは多少苦痛でも仕方ないかもしれない。

でも暇なときにしたいこと、趣味や熱中できることって辛いって感じることはないと思う。そう考えると、ほんとに思い当たらない。受動的になれるYouTubeと 音楽くらいだ。

それらが悪いことでは全くないと思う。ただ少し空しいと感じる。面白くない人間だなあと思う。

一応、面白いなと感じることをあげると、音楽では歌詞に注目して曲を聴くことは楽しい。表現の仕方に小さな感動をするし、自分でもそういう表現をできたら面白いなと思う。YouTubeはいろいろ見るけどバラエティよりは世界・街の歴史や自転車、あとは表現が面白いなと感じるYouTuber(考えすぎちゃう人、QuizKnockとか)。

 

話を戻そう。周りの人を見渡すと、絵・筋トレ・アウトドア・ゲーム・音楽などなど好きなことがあってうらやましい。なぜそんなに熱中できるのか。

 

(後日追記)

興味の幅を広げるようにするのか、何事もスポンジのように吸収できるのはなぜか。

興味ないものは無理でしょう。

 

じゃあ自分は暇な時間を何に使おうか。

幸い(?)、失恋してそれをずっと引きずっている。いい加減どうにかしなくてはいけない。

自分を変えよう。二度と同じことを繰り返さないように。どこから変えていくかはまだ決まっていないけど、次の人と会うときは違う自分でいたい。

 

「自分を変えていく」

これに自分の時間を使おう。

 

 

今回はここまで。また何か思うときがあったらここに書き残そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社会人2年目まったりシステムエンジニア 1

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普段、考え事は多いほうだが文字に起こして日記のごとく残していこうと思った。

(もしかしたら読者がいて、コメントが来ることもひそかに期待している。)

 

この頃、仕事へのモチベーションが失われているように感じる。もともと高いモチベーションはなかったが、成長意欲や成果を出して評価されたいという思いが全くない。

 

業務形態だったり、テレワークという環境にかまけてオリンピックや甲子園をみて最低限のタスクだけをギリギリこなし、6人のチームだが俺がいなくても変わらないであろう。

 

自分は責任感がない人間で、他人から「適当な奴」や「やばい奴」と言われたり思われることは慣れている。

けど人のためになることをしたいとは思う。正確には「ありがとう」と言われたらうれしいし、楽しんでいる姿や笑顔になっている姿を見るだけでもうれしい。

誰かと会おうとき、特にマッチングアプリで一対一で会うときは(頑張らないといいなと思われないこともあり)楽しんでもらえるように、コースはもちろん、会話を大切にして笑ってもらったり、相手が楽しんで緊張しないようにしている。(これはデートなのか?うれしいことにリピートしてもらえる。。)

 

普段の生活で人を喜ばせたり笑わせたりする機会なんてそれくらいだ。あとは友達と話しているときは気が合うからか、ふつうに楽しいし、向こうもそうだと思う。

 

大学生の時までそんな風に、人のために何かしたいなんて思わなかったし、「めんどくさ」や「へー」みたいな薄情というか自己中な考えだった。おかげでコミュニケーションも苦手だった。

 

大学院生になって、半年ちょっとだけコーチをした。大学1年生に教えていた。記憶の限りでは、はじめて人のために自分の頭と体力を費やした。ものすごくきついし、1年生を上達させることもできなかった。

でもすごく楽しかった。特に感謝の言葉をもらったわけでもないけど、雰囲気つくりや(今思えば一方的だった気もするけど)真剣に1年生に向き合っていることは充実感があった。なにより、試合で1年生がいいプレーしたり勝ったりしたときは本当にうれしくて、コーチのくせにトップレベルに喜んでいた。

そういう喜びとか雰囲気づくりを意識していると、だんだんと感情を豊かに表現することができるようになった。そのほうが一緒にいる人は楽しんでいるように思えた。

 

あと研究室にすごい人がいた。全くもって専門知識はないが、根性や気持ちといわゆるコミュ力が高かった。それまで生きていた中で関わってこなかったタイプの人だ。

就活や研究室生活で関わっていく中で、自分が持っていないものをたくさん持っていて、徐々に「こいつすごい奴だ」と思うようになった。

 

 

 

書きすぎた。。。

今日はここまで。次回がこの話の続きになるかも未定。