仕事について

久しぶりに技術調査ではない仕事をした。

所謂、調整仕事である。ほんとに些細な、新規参画者の申請内容をリーダに確認をとって申請するだけの仕事だが、タイミングの悪さやリーダの申請業務知識の薄さにイラついてしまった。挙句、少し雑に強く返信した。。

 

イラついてたからなのか、終業後に久々にサイクリングに出た。いつもの20km弱のコース。緊急事態宣言が終わり、飲食店が20時過ぎでも明るく、人も多かった。

晴海大橋あたりで、後ろに年中くらいの娘を乗せた母親がいた。剣型のビニール風船を振り回していた娘を叱っていた。「降りて」のような言葉を発していて、そんな心無いこと言わんでもと思ったが、信号で止まるたびに後ろを向いて、何が起こるか、どうして危険なのかを口調は強いがきちんと説明していた。自分では納得いく教育だった(何様だし笑)。

 

京橋あたりで高校生?くらいの4人組が騒いでいた。オフィス街の大人たちのなかだと一層目立つ。自分のなかの高校生イメージにたがわず、いきっていた。なぜそんなに威張り散らかすのか。わからない。そしてこんなことを気にしてる自分も小さい。

 

家に着くと仰天ニュースがやっていた。

秋葉原無差別殺傷事件厚労省局長冤罪事件の特集だった。

前者は孤独のつらさを感じた。共感できた。いま孤独を感じるのは仕方がない。運が悪いのかもしれないけれど、嘆いても仕方ない。これから自分で手繰り寄せる努力をするしかない。まだ人生は長いんだから。

 

そして、後者がブログを書こうと思ったきっかけである。

一つはなぜ冤罪で拘留されている中、心を強く保てたのか。はかせるようなことをされたのかわからないが、屈せずに保釈まで頑張れたのか。

家族がいたから頑張れたのか、自分の正義感が許さなかったのか。真面目な人ほど考えすぎてメンタルが参ってしまいそうなもので、不思議だった。

 

もう一つは、この冤罪被害を受けた人をWikipediaで調べると、「仕事に臨むまじめな姿勢や、低姿勢で物腰柔らかく、誰も怒らせることなく物事を調整することができる、敵を作らない典型的な調整型官僚として有能であることが評価されていた。」とあった。

まさに今日の調整仕事に対する自分の姿勢とは真逆であり、それが有能とまで言われている。たしかにあれをスムーズに文句言わずにこなせる気概、器の大きさは偉いの一言につきる。

ただ、後輩の面倒を見るのは全く苦ではないないのに、(言い方は悪いが)リーダの面倒を見ると突然、本当に嫌になる。これは勝手にリーダに期待しているから?リーダに対しても何も知らない後輩だという気持ちで接すれば、こんな調整も苦ではなく自分の好きなお世話仕事になるのかもしれない。

でも調整仕事は汎用スキルとして市場で評価されるのだろうか。まだわからない。

 

今日は事務作業(調整作業)に対する考え方が変わっただけでも良い一日だったわ。(笑)